2016/09/24

娘が生まれた話

もうすぐ娘が7ヶ月になる。忘れないうちに、生まれるまでのことを少しメモしておきたい。

昨年の6月頃、妻の妊娠がわかった。
医者が「これが心臓ね」と言って指したのは、エコー画像に写る数ドットの点滅だった。うれしかった反面、こんな小さいのがほんとにちゃんと成長するんだろうか、と不安も大きかった。

実際、初期の流産はとても多いらしい。専門書やマタニティ雑誌などにも特別なことではない、と書いてある。安定期に入るというのはそういう危険性の高い時期を過ぎましたよ、ということをさす。
車の運転には気を使った。検診などで病院に行き来するのもなんだか緊張したし、実際に体調が悪いとなってしまい、祈りながらハンドルを握るようなこともあった。

「つわり」という謎現象もある。ドラマとかで「うっ」「あなたもしかして・・・!」というアレである。
うちの場合は何か食べると症状が落ち着くといった感じだったようだが、人によってはジャンクフードばかり食べたくなるとか、なにも食べられなくなって入院してしまうといったケースもあるらしい。
とにかく具合が悪く、ひどいと何も出来なくなってしまうので、会社帰りに連絡して必要があれば簡単に食べられるものを買って帰るといったこともよくあった。

母親学級というものにも参加した。ここで「妊婦体験スーツ」を着せられ、これは大変だな、と実感した。赤ん坊そのものは大きくても3キロそこそこだが、その生命維持のために全体では10キロ程度は重くなるのだ。何気なく動くと腰をやられそうだった。

つわりが落ち着いてからは穏やかな日々が続いた。長めの休暇をとって旅行をしたり、それぞれ別行動で遊びに行ったりできた。僕もこれでゆっくりゲーム会に参加できた。

昨年いっぱいまでアパートで2人で過ごし、年始の挨拶に妻の実家に行ったところでそのまま里帰り出産のため妻だけ残るという形にした。出産予定日は2月24日だったので、僕と同じ誕生日(21日)というのもありえるかなと話をしていた。
この「1人暮らし期間」、ゆっくりできるかなと思っていたが実際には2週に1回の検診に毎回ついていっていたのでなかなか忙しかった。

2月の半ばには名前を決めた。候補をいくつか出しておいて、最終的には顔を見て決めようということになった。
僕の誕生日は結局何事も無く、平日だったので1人で近所のラーメン屋に行った。出産の時に役に立つものをネットで調べ、自宅のクッションを1つ持っていくことにした。他に有名なアイテムはゴルフボールなんだけど、これは病院で用意されているとのことだった。

月末の29日、朝方に陣痛が始まった。陣痛というものは痛い時間帯とそうでない時間帯があり、だんだんとその間隔が狭まっていく。しかし間隔は5分くらいから10分くらいの間を行ったりきたりして、なかなか進まなかった。
痛みの来ている間は背中をさすって、そうでない間は布団やクッションの場所をかえたり飲み物を渡したりと必死だった。当然妊婦当人が一番大変であることは間違いないのだが、ほぼ役に立たないとわかっている一番の当事者という立場もいろいろな意味で大変だということはなんとなく想像してもらえると思う。
いや、もう1人の当事者として、今こそ生まれてこようとしている赤ん坊本人がいた。予定日を過ぎてもゆっくりしていた居心地のいい空間をとうとう後にし、おそらく大変な思いで外界をめざしている。

30時間の格闘の末、娘が生まれた。怖いような気持ちもあったけれど、誕生の瞬間に立ち会えたのはとても良かった。娘の足に筆ペンで妻の名前を書いた。
浮かれて写真を撮っていたのだが、何かの数値が上がらないとかでにわかに騒がしくなってきた。Tシャツっぽい服を着た医師が何人か入ってきて、なにやら診察していきそのままNICUという新生児用の集中治療室に入院することになった。

説明を受けると「新生児一過性多呼吸」とのことで、あまり珍しいものではないらしい。とはいえ、呼吸用の管や点滴を入れたりと見た感じではとても大変な処置をされており不安は大きかった。心配したものの見舞いに行くたびにみるみる良くなっていき、1週間ほどで母子ともに退院することができた。
自分はこのときに無理しすぎたのか、その後1週間も風邪で寝込んでしまい妻にはとても迷惑をかけてしまった。これは一番の反省点で、やはり体調管理はとても大事だと思う。
風邪のせいで期限ギリギリのタイミングになってしまったが、出生届けも無事に提出できた。

つらつらと書いたけど、日記のようなもので特に落ちなどは無い。出産にまつわるドタバタは、それに付随する書類手続きを一通り済ませるところまでが一区切りだったかなと思う。
子育てはここからがまさに本番で、メモしておきたいことは沢山ある。そのあたりはまたの機会にかいてみたい。